ケイシー・ジョンソンとは?
ケイシー・ジョンソンは、世界的にビジネスを展開する大企業、ジョンソン・エンド・ジョンソンの創設者を高祖父に持つ女性です。女優になることを夢見て、パリス・ヒルトンやニコール・リッチーなどとも交流していたので、裕福な海外セレブのひとりとしても有名です。
しかし、1月4日、自宅のベッドルームで遺体で発見され、30歳という若さでこの世を去ることになりました。
大富豪ジョンソン一族のルーツ
ケイシー・ジョンソンの高祖父、ロバート・ウッド・ジョンソン1世は1880年代後半に、ジョンソン・エンド・ジョンソンを設立します。当時、この企業は家族で経営されており、それほど大きな企業ではありませんでした。
ジョンソン・エンド・ジョンソンを世界的な大企業にのし上げたのは、その息子、ロバート・ウッド・ジョンソン2世です。彼の息子、ロバート・ウッド・ジョンソン3世は、父親と仲が悪く、1960年代中頃、会社経営から締め出されています。
彼は、5人の子どもに恵まれましたが、そのうち2人は1975年に死に、ひとりはコカイン中毒、もう一人はバイク事故が原因でした。残った3人の子供のうちのひとりが、ケイシーの父、ロバート・ウッド・ジョンソン4世です。
ケイシー・ジョンソンの家族
ケイシーの父親は慈善家としても有名で政治資金を集めたり、アメリカン・フットボールのチームを買収したりしています。彼はケイシー以外に、ジェイミーとデイジーという女の子に恵まれていますが、ケイシーの母親とは後に離婚しています。
ケイシーの母親は、アメリカン・フットボールの元選手で現在はスポーツキャスターとして知られるアハマド・ラシャド氏と再婚しました。
さらに叔母や叔父も有名
男性をめぐってケイシーとの不和が度々報道された叔母のエリザベス・ロス・ジョンソンは、40歳になるまで5度結婚しており、その相手の中には歌手のマイケル・ボルトンがいます。
ケイシーとエリザベスが仲違いする原因と言われた男性はジョン・ディーで、彼はかつて女優のララ・フリンボイルと結婚していました。
ケイシーの叔父、ジェイミー・ジョンソンは2003年にボーン・リッチという、裕福な家に生まれた自分自身をテーマにしたドキュメンタリーを作ったことでも有名です。
養子も引き取ったばかりだった
ケイシー自身も、2007年にカザフスタンからアヴァ・モンローと名付けた養子を迎えています。名付け親はパリス・ヒルトンの妹、ニッキー・ヒルトンだと言われています。しかし、実質世話をし、育てていたのは、ケイシーの母親だったと言われています。
資産家の家系図の複雑さ
ジョンソン一族を全員あげだすとキリがありません。これだけ裕福な一族になれば、親族や関係する人間も多くなり、その家系図の輪郭もまわりから浮き彫りにならざるを得なかったのかもしれません。それだけでドキュメンタリーをひとつ作れるというのも、納得できる話です。
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