デンマークで誕生したプロテニスプレーヤー
キャロライン・ウォズニアッキは、デンマーク出身のプロテニスプレーヤーです。デンマークでは唯一といっても過言ではない、本格的な活躍を見せる選手に成長しました。
ウォズニアッキの軌跡
ウォズニアッキがプロになったのは、5年前の2005年に行われた全米オープンからです。しかし、その年は本格的にプロとして始動できませんでした。
ウォズニアッキはジュニアの頃から優秀な成績を残すことに成功しています。プロに転向する前年には、ウィンブルドンで優勝、全豪オープンでは決勝にまで勝ち進んでいました。
ウォズニアッキのプロ転向後、大きく流れを変えるきっかけとなったのは、2008年に初めてWTAツアーの試合で優勝したことでした。その後彼女はすぐにシングルスで2度優勝します。このうち3勝目の優勝は、ジャパンオープンで勝ち取ったものです。
2009年、さらに5つの大会で勝利し、5度の準優勝にも輝きます。この準優勝には、ベルギー人のキム・クライシュテルス選手と決勝で戦った全米オープンも含まれています。これは彼女にとって初めて進んだ4大大会決勝でした。
そしてデンマークの女性テニスプレーヤーが、世界4大大会で決勝まで勝ち進んだのは、1955年のクルト・ニールセン以来、実に50年以上ぶりの偉業でした。
彼女の意外な背景
ウォズニアッキはまだ19歳、彼女自身も自分がこれほど早期に結果を出せるとは思っていなかったと語ります。
「こうなってくれたことに幸せを感じる。本当に幸せ。できることならこのままテニスをプレイし続けて、どんどんうまくなりたいわ。」
ウォズニアッキの父親は、デンマークとポーランドで活躍したプロのサッカー選手でした。また、彼女のコーチも同じくポーランドで活躍したサッカー選手です。一方の母親はポーランドでバレーボールをしている選手でした。
ウォズニアッキは幼い頃、現在はプロサッカー選手としてデンマークで活躍する兄の姿を見て育ちました。サッカーで活躍する兄の姿に憧れ、父の指導のもと手に握ったラケットで強くなりたいと感じるようになったようです。
通常、一般的なスポーツで世界を舞台に活躍するには、幼い頃からの専門的な教育が必須とされています。しかし、彼女のまわりには、テニスの専門家の姿は見えません。
これだけテニスと無関係な人達に囲まれていながら、世界を舞台に活躍できる彼女。その秘密は、アスリートとしての能力が代々受け継がれた家系のなせる技なのかもしれません。
これからの活躍に向けて
デンマークのテニス界を揺るがす偉業を肩に担いでお気に入りのメルボルンパークへ足を踏み入れても、プレッシャーは感じなかったとウォズニアッキは語ります。
「ひとつひとつの試合をいつもきちんと見据えるようにしているわ。私は勝ちたいのよ。それが私の目標なの。それから、そうね、自分にこれ以上のプレッシャーをかけないようにするわ。」
Wozniacki bemused by progress despite pedigree