大きな被害にも負けない
東京電力福島第1原子力発電所から約45キロの距離にある福島県相馬市。3月11日の東日本大地震の津波により、海岸部の5027人の家屋が瓦礫となりました。
いまだ被害の爪あとの色濃い街で、しかも原発事故の問題もありながらも、立谷秀清市長は決意のメールマガジンを発行しました。
市長の震災
市長は、地震直後の大津波がいかに想像を絶するものであったか、その後の対策本部での緊迫した様子などを語っています。
そして地震だけでなく、原発事故による放射能漏れで物流がとまり、医薬品の確保に苦労したこと、日用品や生活用品が手に入らないことをあげています。
市民生活と郷土の再建に死力を尽くす
市長は、このような生活の不便さや原発への恐怖に負けず、相馬地方の復興を宣言しました。また、
いつまでも続くはずもない原発騒ぎや物流の風評被害に負けたら、津波から被災集落住民の命を守って殉職した分団長や団員に申し訳がない。最低、米と味噌と梅干しがあれば、生きてはいける。天明の飢饉はもっとひどかったはずだ。よってろう城をしながらここで頑張る。
と延べ、悲痛な決意を語りました。
相馬市メールマガジンNo248
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/20110324_melma.html