家系図の現実
キャロル・ジョンソンさんも、Ancestry.comのサービスを利用して、家族を見つけ、たくさんの収穫を得てきました。
しかし、苦悩もあります。
ジョンソンさんは64歳。人生の大半をミズーリバレーで過ごしてきました。しかし、2007年の洪水以降、ネブラスカ州のネルストンへと引っ越しています。
彼女は家族にかかわる資料を20年間集めてきました。その記録は、シャルルマーニュにまで及ぶ、彼女の家系を示しています。
「すごく楽しいけど、すごく骨の折れる作業でもあるわね。」
と、ジョンソンさんは話します。
「この家系図関係のものには、どんどん取りかからないと。」
彼女によると、彼女のお気に入りは、家族の古い写真を収集し、小冊子にすることだそうです。
ジョンソンさんの苦悩
しかし、家系図作りは常に楽しいものではありません。
ジョンソンさんの両親は、1947年、彼女が2歳の時に離婚しました。ジョンソンさんは、フィリスという名の母親と、最低限の交流しかできませんでした。主立った連絡は手紙です。
2人は結果的に遠ざかり、連絡を取らなくなりました。不通の状態が続いたのは、ジョンソンさんが家系図作りを始めるまでです。
ジョンソンさんが、今ではフィリス・ザルーガとなった母親を見つけたとき、娘として認識してもらえなかったそうです。彼女は礼儀正しかったと、ジョンソンさんは話します。しかし、同時に、手紙で家族にかんする質問を投げかけると、時々それも変わったようです。
ジョンソンさんは、フロリダの家族を訪ねる間、同じくフロリダに住むザルーガ一家の元を訪れ、母親と2~3回会っているそうです。
パールハーバーのザルーガ家を訪ね、時には母親とともにランチに出かけることもありました。それでも、母親と一緒にいるところを、彼女の友達に呼び止められると、彼女はジョンソンさんを友達として紹介しました。
「とても悲しかった。」
と、ジョンソンさんは話します。
「自分を産んだ母親だったので、もうちょっと期待していたの。」
しかし、このことにかんして、良い結果がもたらされることはありませんでした。
「趣味は危険にもなり得るわね。」
ジョンソンさんは、後悔していないと話し、今後も家系図を拡充させる作業を続けるそうです。
同時に、ジョンソンさんは17世紀に北アメリカへボートで到着した家族の手掛かりをつかんでいました。この人物が、彼女の姉であるリンダ・グローバーさんとつながるのではないかと考えているのです。
グローバーさんの苦悩
66歳のグローバーさんは、ブラフスという地方の、当時マーシー病院という名前だった病院で生まれ、6か月の時に養子に出されました。
里親の元で、素晴らしい人生を過ごしたと彼女は話します。ネブラスカ州や北ミネソタ以外にも、ブラフスではリンデン・アベニューというところに3歳まで住みました。
両親が死んでから、彼女は自分の血のつながった家族を調べようと決意しました。彼女が20歳の時です。
「興味もありましたし、自分に近い家族を知りたいという欲求でもありました。」
と、グローバーさんは話します。
調査の途中、自分の妹に当たるのではないかと思う女性を見つけました。それがキャロル・ジョンソンさんです。
「作業がすっかりそこで止まってしまったわ。」
と、グローバーさんから話を聞いた時の心境をジョンソンさんが話します。
「リンダが私を見つけたとき、頭が真っ白になっちゃって…あり得ないんだもの。」
考えられる実母の可能性として、グローバーさんはザルーガさんと連絡をとりました。
「彼女にはよく接しました。彼女に、『あなたが私の母親だと信じるのには理由があります』って話したんです。」
と、グローバーさんは話しました。
「でも彼女は『違う、あなたは私の娘じゃない』って答えたんです。だから私はその話はそれで終わりにしました。」
グローバーさんも、ジョンソンさんも、共に、ザルーガさんには、怒りよりも同情の念を抱いています。
「自分だったら、自分の子供を立ち去らせることなんて、考えつきもしないけど、でも、彼女にはそれも簡単なことなのね。」
と、ジョンソンさんは話します。
「彼女に嫌な感情を持ったことは、本当にないんです。ただ、悪かったなと思うだけ。ほかの兄弟全員を否定するなんて、それも恐ろしいことですよね。」
と、グローバーさんも付け加えます。
結局家系図作りは封印することに…
この件にかんする感情的な代償は、グローバーさんにもう一度考える機会を与えたようです。20年後、グローバーさんは、家系図作りに区切りを付けました。
「今までたくさんの自己分析を行ってきました。祈って、考えて、それから私はこの調査を止めようと思いました。」
と、彼女はメールの中で述べました。
「悩むこともいっぱいあったし、この調査をしていると、心に平穏が訪れないんです。だから、この作業は終わりにしようと思います。」
一方、熱狂的なファンを代表するヒングリーさんは…
確かに感情は波立ちますが、それも価値のある冒険だと語るのはヒングリー氏です。コーニングという町で育った彼は、中学で家系図の課題に取り組み、それ以後この調査にのめり込みました。もう30年もこの調査を続けています。
「私にしてみれば、中毒なんです。」
ヒングリー氏は44歳。
「これは自分が解き明かしたいナゾなんです。」
と、彼は話します。
Geneaology explodes as a hobby
http://www.southwestiowanews.com/articles/2010/04/04/council_bluffs/doc4bb809b7c8aef246966566.txtAncestry.com
http://www.ancestry.com