予期せぬ大震災
1995年1月17日早朝に発生した阪神大震災で、洋子さん(29)は頭部をピアノに直撃され、記憶力や集中力が低下する
高次脳機能障害を負った。洋子さんは高校を卒業してデパートで働くのが夢だった。
好奇の目が怖い
意識不明で搬送された病院で、「余命半日」と告げられた。「洋ちゃん、高校行くんでしょ」。母、美智子さんは声を掛け続けた。1週間後、洋子さんは目を覚まし、自発呼吸もできるようになり退院することができた。しかし、「元気でおしゃべり」だった洋子さんの面影はない。言葉も続かない。バスに乗ると、周りの人の肩に手をかけ、車内を徘徊した。周囲の好奇の目もあり、「いくつも死ぬ方法が浮かんだ」という。
周囲が支えてくれた
「周囲に理解してくれる人がいつもいた」から生きてこられた。そして、洋子さんは定時制高校に入学し、一人で通学できるようになった。現在は障害者の作業所に通い、2年前からは週1回、障害者雇用を進める飲料メーカーに勤める。美智子さんは二人三脚で精いっぱい生きていきたい、「手がかかるけれど、洋子が大切だから」と語る。