祖父に関する書類を手にして
「自分が家族について知っていることは、家族が知らせても良いと選った情報でしかない」
と、日系アメリカ人のスザンヌ・モリさんは語ります。
「家族が常に真実を教えてくれるとは限らないのよ。」
彼女の手には23ページにも及ぶ祖父の記録文書のコピーが握られていました。50年以上も昔にアメリカ人となった人間の記録が書き残されている書類は、一見単なる書類に見えても、彼の人生そのものを映し出しているようだと、彼女は語ります。
祖父を知るきっかけとなった移民記録調査
彼女の祖父は1888年5月25日に日本で生まれ、1906年5月にハワイから航行船に乗って、アメリカ、サンフランシスコへと移住しました。
彼女が、移民の子としてのルーツとなる自分の祖父について調査を依頼したのは2009年のはじめのことです。この調査は政府の入国管理局が2008年からサービスを開始したもので、20ドル払えば、90日かけて、調べたい人間の名前が記録文書の中にあるか検索してくれます。
プライバシーの問題で、すでに亡くなっている人間に限ってですが、情報が見つかれば、追加料金を払うことで見つかった書類のコピーを手に入れることもできます。
家族だけでなく、系図学者などの第三者でも、調査や研究を目的に利用することができるようです。今までこのサービスを利用したのは延べ5000人程度といわれています。そして、スザンヌさんもこの中のひとりでした。
手に入れた祖父の記録にあったもの
スザンヌさんが手に入れた祖父のファイルには、移民手続きの書類のほかに、ビザの申請書類、市民権を獲得するための試験書類、第二次世界大戦時にFBIらによって作成された家族の私的情報なども残されていました。
父を通して語られた話が、臨場感を持ってそこに記されていたようです。彼女の祖父が亡くなった時、スザンヌさんはまだよちよち歩きもままならない赤ちゃんでした。
家族から祖父にまつわる話を何度も聞いていましたが、この調査で入手した書類がもたらした情報は、それ以上に、彼女の中の祖父像を明確に結んだようです。
祖父の歴史
彼の祖父は移民後すぐにユニオン・パシフィック鉄道へ勤め始め、現場監督になります。その後結婚し、スザンヌさんの父を含む4人の男の子と娘を1人授かりました。その後兄妹は結婚や就職を機にワイオミング州、アイダホ州、ユタ州へと散り散りになります。
1942年4月、FBIがユタ州ブリガムシティにある彼の自宅を調査します。理由は、国に敵対する日本、ドイツ、イタリアの国籍を持つことでした。彼の妻へ行われた聞き込みによれば、彼は自ら自首をしたと言います。
第二次世界大戦中、作成された書類には、彼の身長が160センチで、肌の色は黄色と記録されています。書類に添付された写真には険しい表情をした黒いスーツの男性の顔が浮かび上がっています。
記録が伝えるもの
スザンヌさんは父親から、手作りキットでラジオ作っていたら、FBIに取り上げられてしまったという当時の体験談を聞かされていました。
それは子供ががっかりしたという感情と当時の日系移民の境遇を語るものでしたが、祖父の書類を読んだ後、眼に浮かぶのは自分の子どもが楽しそうに作っていたおもちゃを取り上げなければいけなかった祖父の悲しい姿でした。
祖父の歴史は、自分へと繋がっている
その後1953年、帰化を決意した彼はクリスマスを前に市民権を獲得する試験を受けます。そして翌1954年5月9日、彼はついにアメリカ市民となります。それはスザンヌさんへと受け継がれている、日系アメリカ人のルーツでした。
A government genealogy service lets family history leap off the page